ゆるゆると

ぽつりぽつりと続けます

毒姉

私には姉が2人います。

それぞれ6歳と3歳離れていますが、みんなふざけることが好きで、20歳になった今も冗談をいいながら笑いあって過ごしています。

 

しかし、今振り返ると3歳上の姉は、毒姉でした。

今はとてもやさしいけれど、物心ついたときから数年前まで、わたしはたくさん傷ついてきました。

 

彼女はよく、私が言うことすることに主観満載で否定してきました。

今でこそ、「お姉ちゃんとは趣味が全く違う。わたしの大好きな友達は私の選択を褒めてくれる。私は私がしたいようにしていい。」と考えることができるのですが、

幼い私は憧れのお姉ちゃんが言うことが正しいと思い込んですべて受け入れてきました。

 

小学生4年生のころ、わたしは友達と初めてプリクラを撮りました。

地元の小さなショッピングモールで、母親の許可をもらい、ドキドキしながら友達と撮りました。なんだかお姉さんになれた気がして嬉しかったのを覚えています。

しかし家に帰ると、姉は私にこう言いました。

 

「わたしは5年生のときに初めて撮ったのに。あんたのくせに生意気。」

 

小・中学生の姉の口癖は「生意気」でした。

この一つの単語で、私の全てを否定し、思い通りにできると姉は知っていました。

「生意気」。この言葉を発せられるたび、

 

「わたしなんかがお姉ちゃんの先を行くようなことをしたらいけない」

 

という意識を刷り込まれてしまいました。このようなことが続き、わたしは何か決断したり行動に移すときは、姉や母の意見を聞かずにはいられませんでした。

 

何かやりたいと思ってもすぐに、お姉ちゃんはどう思うだろう?と考えてていたため、自分の意見には価値がないと思い込み、そのため自分の意見を主張することが苦手になりました。

 

尊敬できることも多く大好きな姉ですが、幼少期の自分のことを思い出すと自分がかわいそうで仕方がないのです。小さい頃の自分が目の前にいるなら、抱きしめて、自分が思った通りにしていいんだよと言ってあげたくなります。

 

姉には私を傷つけてきたという自覚がなく、もちろん悪気も罪悪感を覚えることもなくあっけからんとしています。

彼女のデリカシーのなさと私の弱い心の相性の悪さが、私の心を少しだけ蝕みました。

そのせいか、そのおかげか、私は弱い立場の人の気持ちに敏感な人間になれたように思います。

わたしはこのような思いをする人間ができないよう、人一倍周りの人のことを考えるようになったのです。

私の姉は、世間で毒母とよばれる人たちほど非人情的ではないとは思うけれど、このようなタイトルをつけたのは、私の気持ちを搾取されていたと思うからです。

家族や友人で、あなたのことを愛していても、無自覚にあなたの気持ちを搾取していく人間はいます。

残念ながらそんな人に出会ってしまったなら、すみやかに、逃げるほかないと思います。