「感謝する」という悪知恵
アイルランド留学も4ヶ月が過ぎた。
本日、私はお金持ちのアゼルバイジャン美女の友達の家でパーティをした。
日本人の友達と日本食を作り外国の友達に振る舞うという、これぞ留学!というキラキラしたイベントである。
しかし、なぜか11人分のカレー、米、お好み焼きをたった3人で買い出し、準備、後片付けまでするはめになった。
隣の部屋に響く大勢の笑い声を聞きながら
気まずい沈黙の無数の米がこべりついた鍋を洗ったことはきっと留学の忘れられない思い出の1つになるのだろう。
なぜ、こんなことに…と思いながら私の頭の中にはひたすら2:6:2という数字がグルグル回っていた。
組織のマネジメントにおいて「2:6:2の法則」というものがある。
イタリアの経済学者であるヴァルフレド・パレードが発見したもので、
経済活動をはじめ世の中の分布に幅広く当てはまるとされている。
今回のブログでは労働者の例を取り上げる。
100人の労働者がいるとすると、
20人がよく働き、
60人はボチボチ働き、
あとの20人は全く働かない
というものだ。
そして遊んでる奴らに文句も言わず皿洗いを続けた私はよく働く20人にに当てはまる人間ということだ。
私はこの法則を中学生の頃に初めて知った。
当時の解釈は、上位2割が成功し、6割がぼちぼち成功し、あとの2割は一生やる気もなく成功にもほど遠い人生を送る人たちというものだった。
しかしあれから8年ほど拙い人生経験を経て、断言できる。
人生の勝ち組は他でもない、上位2割以外の隣の部屋で笑っている人間たちである!!!!
思えば中学生の頃から私はこんなことを繰り返し経験してきた。
クラス合宿でみんなが食い散らかしたもので散乱した机を片付けたり、
前日野球部の男が食べた汁が溢れたカップラーメンを処理したり。
なぜ?
彼らに罪悪感がなく、一向に片付ける気配が無かったから。
施設の人にやってもらうなんてバカな真似はしたくなかったので仕方なくやった。
少し救われるのは、どんな時でも私と同じように片付けてくれる友達が少しはいたからである…
しかし、未だに根に持っている。
なぜ、私が?あいつらのために?あんなに怒りを持ちながら
しかし大勢で集まる場は楽しいものでなければいけないという暗黙の了解を飲んで、
静かに家政婦のように働かなければならない??????
こんなのちゃんちゃらおかしい!!!
私は考えた。人生の勝ち組になるために。
私と彼らは何が違うのか?
そして1つの仮説を導いた。彼らには罪の意識がないのだ。
もしわたしが彼らだったら?
自分が到着した時に調理の全てが終わっていて、作ったやつらが疲れ果てていたら?
私は罪の意識から、率先して後片付けをするか自分がその人達より楽しまないように気を遣う。分かっている。2つ目には何の意味もないことは。
しかし、私はそうする。
しかしあいつらはどうだったか?
私は頭が良くて人当たりのいい、可愛らしい背の高い日本人の女の子の言葉が忘れられない。
ええー!全部料理終わってる!
私何もしてなーい、ありがとー!^_^
といい、食事を楽しんだ後は何枚か食器を洗い、さっさと別室へ行った。
皆さんは
え、なにが問題なのか分からない。いい子じゃん?
と思うだろう。
そうなのだ。良い子なのだ。
きっとこの子は逆の立場なら、
全然良いよ〜!用事お疲れ様!^_^
食べよ食べよ〜!
って言ってくれるのだ。
しかし私は違う。私は心が狭い。
私は大変な思いをした分その子には多少罪悪感を持って積極的に手伝うことを求めてしまうのだ。
そしてみんなそうしてくれるだろうと安易に予想してしまっていた。
しかしこの子は「罪悪感」を持つ代わりに「感謝」することで労わり、
私たちの苦労を消化したのだ。
私たちの苦労が無かったことにされたその時、その子は何をしても許されるのである…
偉人や成功者がよく言う
「感謝することが大切」
とはこのことだろうか?
感謝することで生きやすくなるとは、こういうことなのか?
これは、説得力がある。
私が誰かに「2:6:2の法則」教える立場になったら、同時に大切なことも一緒に教えるだろう。
「上位2割ですが、決して仕事ができる選ばれし者たちという印象を持たないでください。もしあなたが幸せな人生を歩みたければ、目指さないでね。それと、感謝の心を待って生きましょう」
と。