ゆるゆると

ぽつりぽつりと続けます

いつまで続くか分からないのに手編みマフラーをプレゼントできるか?

「マフラー編んで欲しい」

 

私が彼にそう言われたのは、

私たちが出会って1ヶ月のある日。

 

私は内心

 

めんどくせぇ!

 

と思った。別れたあとのことを想定してのことだ。

せっかく時間をかけて完成させた私の作品、返してくれるのか?

別れたあと捨てるだろ?

いや、残されてたらもっと嫌だけどね!!!

 

今お付き合いしていて想像できるのが、きっと彼は別れたあともマフラーを捨てない。

せっかく無理言って作ってくれた苦労を無下にできないと考えるだろう。

…次の恋人ができたらどうするの?

身につけず、タンスの奥にしまっておくのか?

そんなの私も、マフラーも、あなたも、次の恋人も、不憫すぎるよ…。

ということで、私はマフラーを編むのに抵抗がある。

 

しかし私は現実主義の一方、尽くしたい欲もある。

編み物は嫌いじゃないし、きっと彼はとってもとっても喜んでくれるのだろう。

 

話は変わるが今日、坂本裕二脚本の『花束みたいな恋をした』を鑑賞した。

 

(以下ネタバレ注意!!!!!!!!!!!!!)

 

 

坂本裕二ファンの私はたくさん感想があるのだが、省略。

カップルのリアル、別れるか結婚するかが描かれていた点に絞ろう。

2人は結局別れてしまったけど、5年間はずっと楽しかった、2人ともそう言っていた。

 

そしてふと思った。

 

結局いつか別れるかもしれなくても、今、とことん好きでいたらいいのでは?
いつか別れるかもしれなくても、マフラーを編んでプレゼントしてもいいのでは?

別れることと、今全力で愛を表現することを拒むことは、全く別問題なのでは?

 

「別れたらそれまでの時間、お金、感情、全てが無駄」

私はずっと、そんな考えを持っていた。

どうせ別れるなら、お金も労力をあまりかけたくないし、

楽しい思い出も少ない方が傷が浅いと思っていた。

絶対に損したくない、どケチな性格が見事に表れている。

 

恋愛に右往左往する自分は軽蔑すべき対象だと、そうするべきだと思い込んでいた。

 

しかし映画の中の別れた2人は、前向きに、本当に前向きに歩いていた。

「楽しい思い出だけ持って」

その言葉通り、歩いていた。

 

冒頭にはこんな台詞があった。

「恋愛は2人に2つ」

 

眼から鱗だった。

恋愛をハートマーク、別れたら2つに割れたハートマーク、そう思い込んでいた。

恋愛は2人に2つ。

幸せでも別れてもハートは割れずに自分のもとにある。

じゃあ、かけた時間もお金も感情も、無駄じゃない…?

 

ははーん!

 

じゃ、私、素直に彼を愛します!

 

マフラーも編んじゃえ〜!

 

今日の発見:

切ないラブストーリーを見てポジティブになれる時もある。