小学校の絶対君主
私は幼少期の記憶が人より多いと思う。
少なくとも家族の中では1番だ
初めての記憶は、まだ言葉が話せない頃のことである。
これは、私が過去のことを根に持つ性質と関係しているのではないだろうか。
私は過去に出会ったネガティヴな記憶はいつでもすぐに思い出せる場所にしまってある。
その結果、それに付属する多くの記憶があるのだろう。
そろそろ容量がいっぱいになってきたので、小学生時代の教師に感じた不信感をここで消化しようと思う。
小学生1年生の国語の時間に当時担任であった中年女性の先生が、今から良いこと言うぞ〜という雰囲気の中こう言った。
「国語は、勉強の中で唯一答えが1つではない科目です。」
幼いながら、私はこの言葉で文学の素晴らしさの片鱗に触れたような気がして少し高揚したのを覚えている。
学期末、1つの回答を基に罰をつけられた国語のテストを返却された私はプチパニックになった。
このように、大変素直で大人の顔色を伺う小学生だった私は、当時絶対的な存在だと思い込んでいた教師の言動により振り回されることになる。
私が納得できない授業があと2つある。
これは小学5、6年生の道徳の時間だったと思う。
当時担任であった24歳くらいの女性教師は授業が始まると無言になり怖い顔をしていた。
彼女は何も言わず、いつもより乱暴な手つきで黒板に複数の印刷物を掲示していった。
なぜか少し怒っていた。
掲示されたのは、私が当時大好きだったものを含む漫画の表紙や戦闘シーン、制服アイドルのポスターなどであった。少年漫画のヒロインは水着姿、戦闘シーンには血や拳が敵の顔面を貫通する様子が描かれていた。私はなんとなく授業で先生が言いたいことを察した。
要するに、エロ、グロ、ダメ!である。
しかし先生は終始決定的なことは言わなかった。
なんの時間かもよくわからない生徒も多く締まりの無い授業だった。
ただ、私は大好きな漫画を一方的に批判されたようで悲しかった。
そして純粋な私は、なぜ制服アイドルがそれらと並べられているのかという疑問を最後まで解決できなかった。
次に紹介するのも道徳の授業である。
小学生4年生の私たちはグループに分かれ、様々な職業が書いてある紙を渡された。
その授業は、その職業の人を思い浮かべて、男女に分けてみよう。という授業であった。お察しの通り、これはジェンダーの授業である。
大工は男、ネイリストは女と区別しようとする子どもたちに対して、性別と職業は関係ありません!固定概念にとらわれないようにしよう。自由に生きよう。と教える授業である。
このような考え方は立派だと思う。しかし、初めに生徒を間違いに誘導してから諭すというやり方が気に食わない。
実際、私たちの班は、
え…、職業と性別?関係あるの?ってなっていた。
全部真ん中に置いていたけれど、さすがにそれはやばいかな?と思って2つくらいは男女に分けたら、先生は
その2つは絶対その性別ってことね?なんでそう思うの?
と、ドヤ顔で聞かれ、その後諭された。
なんだか腑に落ち無かった。あの頃は感情をうまく言葉にできなかったけれど、つまりは、教師の授業を予定通り進めるためにまんまと誘導尋問にのせられたのがとても悔しかったのだろう。
ここまで書いて、私は私が思うほど素直な小学生ではなかったことが分かった。