アラジンから学ぶスクールカースト
こんにちは
物価がかなり高騰してなかなか贅沢ができないダブリンですが、朗報です。
なんとここダブリンでは毎週火曜日はどこの映画館も5.5Euro(700円未満)!!
日本の学生料金よりも安いですね、驚き。
そんなわけで、先日アラジンと魔法のランプ実写版を観て参りましたよ!
ネタバレ注意です
ジャスミン役の方が綺麗すぎてびっくり。アジア系の美人に弱いわたしはぞっこんラブ。この世で一番美しい女性はあの方なのではないでしょうか。
さて、アラジンの中で最も印象に残ったシーンについて話したいと思います。
それは王に仕えていた悪い家来がジーニーに自分が王になれるように命令するシーンです。王の格好で王の椅子に座り、家来たちに元王を引きじり出すように命令するのですが、家来たちは迷います。さっきまで王だった人のいうことを聞くべくか、今は力を持った新しい王に従うべきか。その葛藤をみていると、わたしは混乱しました。
お金は「これには価値がある」という共通認識があるから経済が成り立つのですよね。
昔は通貨が貝殻で成り立っていたことや、現在は金や銀ではなく紙幣が流通していることも、すべては人々がそれらの価値を共有し信じているから生活できるのです。
皇室制度さえも、この人は王だという共通認識があって成り立つものなのかと衝撃が走り、鳥肌が立ちました。
今まで普通に従っていた家来たちが一斉に自分の敵になる姿を見たジャスミンのパパはどんな気持ちだったのでしょうか、、、
国王としてと努めてきた過去、信じていた家来たち、自分の権威。
それらすべてがひっくり返ったとき、彼は彼自身ではなく周りの対応が彼を王にさせていたと気がついたことでしょう。
そんな描写はなかったけれど、とても深いシーンでした。
そう思うと世の中すべて嘘に見えてきますね。
事実だと思っていたことが、実はただの人々の共通認識であると気がつくことは物事の本質を見極めるためには大切なプロセスですよね。
そう思うと学生時代のカースト制度なんかは、すべてが学生個人の実力ではなく周囲からの評価です。
いじめのターゲットは特に、こいつはいじめられても仕方がないやつだ、そういう共通認識を持つよう仕向けられるのですね。
カースト上位なんかは、体がごつかったり派手だったり、スポーツができたり。そういう条件に当てはまるだけで、本人たちを含む多くの生徒が彼らをカースト上位に位置づけることによって成り立つのですね。
本人の意思に関係なく位置付けられることなんか日常茶飯事ですよね。
いつの間にか派手なグループにいれられる容姿の良い人、人気者のいじられキャラ、彼らも本当は静かに過ごしたい人かもしれない。
スクールカーストを逃れるには、ジャスミンのような強い意思で自分を確立し、誰からの人素気にも沿うことなく生きるしかないのかもしれない。